だが、情熱はある
中には
こんな方もいらっしゃるのではないかと。。。
「リトルトゥース」過ぎて
観れない/観たくない orz
どうやって観たとて
「若林」でも
「山里」でもないじゃん (ToT)
共感しかありませんが
グッ!っと堪えて
ぜひ「第1話」をご覧ください m(._.)m
それ以上に
足りない2人×過去に触れたくなる事
間違いありません。
だが、情熱はある。【実話】
Twitterのトレンドにも上がっていた
春日 × トゥース!= アメフト/用語 かよっ!
若林 × 奇行 = 春日の髪の毛を切り続ける
若林 × 父親 = ぶっとんだ人/価値観
本人たちが【実際に】
エピソードトークとして披露もされている
「オードリー×あるある」です w♪
描写されるかは分かりませんが
春日が校舎「◯階から」飛び降りたら「〇〇円」
【通称】春日チャレンジ
【謎の若林語録】
今日から「木保/キポ」と呼んでくれ。
要チェックとさせて頂きます w♪
興味のない方様には
全く知られていない
【オードリー×売れるまで 下積み時代】
なぜ×オードリーが売れたのか?
オードリーの「魅力」とは?
オードリー = ラジオ/オールナイトニッポン
気がついた時には・・・
「あなたも」リトルトゥース?!w♪
【オードリー】下積み〜売れるまで。
2010/6/26
【第38回】オードリーオールナイトニッポン
「10年目のプロポーズ」
若林正恭さん/ブログ
「どろだんご日記」※ 現在閉鎖中
【文字起こし/引用】×【時系列×繋ぎ合わせ】
ただただ×言葉要らずして
これが「オードリー」
ピリピリピリピリッ!!!
一本の電話が2人の青年の運命を変えた。
若林が春日をお笑いの道に誘ったのだ。
2人は電話で
お笑いの専門学校に入るべきか
事務所はドコに所属すべきかとゆった事を
夜が更ける迄長い時間語り合った。
だがそれは
この先コンビがブレイクする迄の
長い長い年月に比べれば
ほんの一瞬に過ぎない事を2人はまだ知らなかった。
春日俊彰は大学卒業後
テレビ局に就職し
伝説のプロデューサーになる予定だった。
しかし
高校の同級生だった若林の誘いに乗って
進路を変えた。
家族にお笑い芸人になると宣言すると
父親は大反対した。
理由は
オレは22年間
お前で笑った事がない。
ぐぅの根も出なかった。
母親は
芸人にするために大学に行かせたんじゃない
と泣いた。
そんな家族の反対を蹴って迄
自分とコンビを組んでくれた相方に
若林は感謝した。
その時から
早く売れて春日の両親を安心させてやるのが
オレの勤めだと密かに思うようになる。
【2000年】ナイスミドル
初ライブの前に
春日が思いつきで付けたコンビ名
「ナイスミドル」とゆう名で2人はデビューした。
新人がいきなり売れる程
この世界は甘くない。
それは若林にも分かっていた。
しかし
全く売れない年月が
『3年』
『4年』
『5年』
と続く。
若林の心の中に
次第に焦りの感情が芽生えてきた。
と同時に
オレが無理矢理誘わなければ
今頃春日は
普通のサラリーマン生活を送っていたかもしれない。
その事を
春日の両親はどう思っているんだろう。。。
とゆう想いも浮かんできた。
【2005年】オードリー
余りにも華がなかったコンビ名を
「オードリー」に改名。
しかし
そんな事で売れる程世間は甘くはない。
気付けば
オレも春日も27歳になっていた。
応援してくれていた友人たちも
いつしか
いつまで続けるの?と言うようになった。
もう辞めよう
オレは春日にそう告げた。
同級生は
結婚したりマンション買ったりしてんのに
オレたちはこのままの貧乏な生活でいいのかよ。
今の暮らしの何が悪いのか分からない。
春日は今の暮らしで十分幸せだ。
オレはこんな春日を馬鹿だと思った。
でも
同時に羨ましいと思った。
同期や後輩が次々にテレビでネタをやる。
チャンスがなかった訳じゃない。
ただ
オーディションに受からない。
それだけの事だった。
相変わらず仕事は少なく
テレビやラジオからも声は掛からない。
同期は売れていき
後輩には追い抜かれる。
オードリーは落ちこぼれのコンビだった。
いつかは世間もオレたちの面白さに気付くはず。
とゆう強い想いはあったけれど
風呂無しのアパートで暮らし
好きなDVDも借りるお金もなく
深夜
コンビニのおにぎりが安くなるのを待ってから
買いに行くとゆう日々に
熱い想いも
今にも消えてなくなってしまいそうな程
身も心もボロボロになりつつあった。
やっぱり
お笑いなんて辞めてしまおう。
こう思うのは何度目だろう。
数えてもキリがないくらいオレは考えた。
【2006年】解散危機
今日は重要なオーディションがある。
気持ちを切り替えて頑張ろう。
なんてオレにはないポジティブな気持ち。
春日の姿がない。
オーディション会場に春日の姿が見えない。
結局春日は遅れて会場にやってきた。
オレたちの出番は
・・・
飛ばされていた。
春日ぁっ!!!
お前なんで遅刻したんだよっ!!!
申し訳ない。
申し訳ない。じゃねぇよっ!!!
お前今日大事なオーディションだって
分かってねぇのかよっ!!!
申し訳ない。
なんなんだょっ!春日ぁ!!!
申し訳ない。
オレが何を言っても
申し訳ない。
としか答えない春日。
オレはブチギレた。
もう解散だっ!!!
オレは会場を飛び出し
原付を走らせる。
何度目だろう。
春日に解散を告げるのは。。。
悔しい
悔しくてたまらない
春日
お前はどう思ってんだよ。
いつか言ってた
今の暮らしで十分幸せだ。
ってセリフ
お前は今でもそう言えんのか?
気付けば
オレの2m後ろを春日の原付が走っていた。
追いついてくる訳でもない。
一定の距離を保ちながら。
なんなんだよ。。。
オレはそう呟いて原付を止めた。
本当に春日と解散するんですか。
春日もメットを外して
オレにそう問い掛ける。
春日の顔を見ると
何故だかオレは涙が止まらなかった。
お前とやりてぇに
決まってんだろっ!!!
ありがた〜〜〜いっ!!!
そう言って春日も号泣した。
車に轢かれて
新聞に載って有名になる。と
深夜の路上に横たわった事もある。
解散を決意してむつみ荘に行ったが
春日がテレビで西武ライオンズの試合を
無邪気に応援しているのを見て
何も言わずに帰った事もある。
あんな馬鹿な姿見たら
真面目な話する気なくなるじゃねぇか。
もうちょっと続けてみよう。
中2からずっと一緒のこんな馬鹿と
死ぬ迄
漫才やりたいと思うから。
暗くて長いトンネルの出口は見えなかった。
ひょっとしてこのまま売れないかもしれない。
とゆう不安は日に日に大きくなる。
同時に
若林の心の中では
一度も会った事のない春日の両親に対し
申し訳ない。
とゆう気持ちも日に日に大きくなっていくのだった。
【2007年】K-1参戦
結成から7年経っても
オードリーは相変わらず売れなかった。
昨日迄と同じ毎日を
どこかで変えたいとゆう気持ちは
春日も同じだった。
春日はその身体を活かして
『無呼吸潜水』にチャレンジし
『K1』にも参戦した。
春日は無謀な挑戦をする事になっていた。
『K-1トライアウト』
あの春日が。
生まれて一度も人を殴った事がない
あの春日が
K-1に挑戦するとゆう。
聞けば
R-1でもM-1でも
賞なんか取れないんだから
K-1で身体張ってこいっ!!!
と事務所に言われたらしい。
それをすんなりと受け入れる春日。
馬鹿だ。
オレは春日の気持ちが痛い程よく分かっていた。
何かを変えたい。
オレと春日の想いはいつも一緒なんだ。
春日のトライアウトの結果は
準合格だった。
K-1に挑戦する春日。
お笑いとは何の関係もない挑戦
周りの大人がとやかく言わない訳がなかった。
でもオレは
外野から何を言われようと
春日が・・・
オレが・・・
信じた道を行く。
ただそれだけの事をする事が
この『大人の世界』ではすごく難しい。
春日は
『K-1 2007 SURVIVAL』のリングに上がった。
対戦相手は
中国の魔裟斗『王洪祥/ワン・ホンシャン』選手
試合内容は終始圧倒
まず手を出さない
最終ラウンドで手を出すも
パンチもキックも空を切り倒す
現実に嘲笑われる
オレはたまらず声を上げていた。
春日ぁっ!手ェ出せぇっ!!!
なす術もない程攻撃されて
無様な迄にボコボコにされて
それでも立ち上がり
立ち向かう春日
対戦相手に
そして
運命に
結果は
2回ダウンを喫しての判定負け
完敗だった。
次の日
いつもと変わらない朝だった。
オレは散らかってる部屋を少し片付けて
洗濯もしてから
身支度も整えてライブに向かった。
昨日と同じ今日がまた始まる。
どうもぉ〜 オードリーでぇすっ!
いつもと同じようにネタを始める
ホント残念な相方なんですけどね。
・・・
あれっ?!
『間』遅ぇなコイツ
お前死にてぇのかコノヤローっ!
・・・
・・・死にたくないねぇ。。。
ん?!
やっぱりおかしいぞ。
ネタを終え
オレは春日に訊いた。
お前さぁ・・・ちゃんと聞こえてる?
春日は病院へ行った。
どうやら片一方の鼓膜が破れていたらしい。
それでもいつもと変わらず舞台に上がった春日。
やっぱアイツおかしいわ。
オレと春日の夏が終わる。
こうしてもがきながら
2人はショーパブのステージで漫才の腕を磨いた。
オレたちは1月1日の生放送
『ぐるナイのおもしろ荘』に出演する事が決まった。
3回のオーディションを経て
やっとテレビでネタが出来る・・・!!!
オレの中に久し振りの高揚感が走る。
先輩の原口さんもはなわさんも喜んでくれた。
2007年12月31日
日テレの控え室でオレと春日はネタ合わせをする。
出番はすぐだ。
当時を知るショーパブ芸人『バーモント秀樹』は
ショーパブってトコロは
酔っ払いの前で芸をやる。
オードリーちゃんみたいなね
漫才はね
辛い場所ですよホントに。
でも
春日ちゃんも若林ちゃんもね
頑張ったんすよねぇマジで。
でもあの頃がねぇ
オードリーちゃんが1番悩んでましたよ。
そうそう
当時ねぇ
若林ちゃんが楽屋でね
1人の時に
ボソっと口をね
すべらせた事がありましたねぇ。
オレが春日の事を誘った事を
春日の両親は怒ってんじゃないかなぁ。。。
ってね。
春日ちゃんの親にね
許しを貰ってない事を
すっごく気にしてましたね。
2人が出演していたショーパブの元支配人は
え〜元店長の『関根』です。
オードリーは明るくてホントにいいコンビで
いつも入ったステージを毎日一生懸命やっていた
とゆう覚えがあります。
それは今にも繋がっている事だと思いますし
お客様の前で
もちろんウケる日もあれば
ウケない日もありましたけれども
コンビとゆうのは夫婦以上の関係だと思います。
2人の家族をもちろん含めての
良き関係だと思いますので
実はキサラの時代も
そのご挨拶が出来ていないと聞き
ちょっと心配しておりました。
ショーパブではウケるものの・・・
依然としてメディアでは売れない。
若林は
もう何度目かの解散を考えた。
が
それを止めてくれたのは
同じショーパブに出ていた芸人の一言だった。
あんちゃん
死んでも辞めんじゃねぇぞ
『ビトたけし』の言葉にうっかり感動して
若林はオードリーを続けた。
【2008年】おもしろ荘〜M1グランプリ
おもしろ荘ネタ終わりのフリートーク
シミュレーション通り
春日はトゥースッ!しか言わない。
春日さんのその『トゥースッ!』って
なんなんですか?!
岡村さんが拾ってくれる。
やったね!オードリーやったね!!!
矢部さんがそう言ってくれた。
・・・
あっ
オレやったんだ。
出番はあっとゆう間に終わった。
誰も助けてくれなかった。
でもこの方法しかなかった。
この漫才が受け入れられなかったら
死のうと思った。
家も追い出された。
何度も解散しようと思った。
その度になぜか
泣いて引き留めるのは春日だった。
コツコツ頑張って
少しずつ露出が増えてきた。
どんずまって
地球割れろと思った。
春日はK1に挑戦した。
ある日おもしろ荘に出る事になった。
運命の歯車は回り始めた。
敗者復活者発表の時
後ろの方にいました。
ちょっとフリーズしまして
背中を叩かれて
ハッ!っとなりました。
あっとゆう間にスタジオへ
出番は次だった。
イェスギャンギャンギャンギャンギャンギャンギャンギャンギャ〜ン⤴︎♪オオォ⤴︎♪オオォ⤴︎♪
オードリーは
M1グランプリの敗者復活戦から
見事に決勝進出。
優勝こそ逃したものの
一夜にして名声を手にしたのだ。
それからのオードリーの大活躍は
もはや語る迄もないだろう。
2009年は
どのテレビのチャンネルでも
オードリーの出ていない日はなく
テレビ/ラジオ/雑誌/CMと引っ張り凧になった。
これまで9年間の鬱屈とした日々が嘘のように
日本中が彼らを愛した。
だが
そんな華やいだ中にあっても
若林の心の片隅を占めていたのは
オレはまだ
春日の両親に挨拶をしていない。
とゆう想いだった。
今ならばご両親は
オレが誘った事を許してくれるだろうか。。。
と・・・
ついに若林は
『今日』
相方の親に挨拶をする。。。